イタリアの自動車メーカーであるフェラーリは、2017年7月21日に同社のF40が30周年を迎えたと発表した。
F40は1987年にフェラーリの創業40周年を記念して作られた特別な車だ。この車の名前の由来は、「F」はFerrari(フェラーリ)の頭文字であり、「40」は40周年を意味している。
このフェラーリが誕生した経緯は、フェラーリの創始者であるエンツォ・フェラーリが発した「そのままレースに出られる市販車」という車作りのコンセプトを具現化した物だ。
この車は、イタリアのマラネロで開催された発表会において、エンツォ・フェラーリ氏が自ら発表するという極めて異例な特別な車であった。なお、エンツォ氏は1988年8月にこの世を去っており、F40が彼の出席した最後のプレゼンテーションとなった。故エンツォ氏ゆかりの最後のフェラーリ。
ボディデザインは、言わずとしてたイタリア・トリノを本拠地とするピニンファリーナ(レオナルド・フィオラヴァンティ氏) によるもので、その優美は姿は空気力学に最も優れたデザイニングが施されている。
世界最速へと導くパワートレーンは、フェラーリ製2936cc 90度V型8気筒DOHC(F120A型)に、日本の石川島播磨重工(現IHI) 製ツインターボを組み合わせたインタークーラー式ツインターボエンジンだ。このエンジンは、フェラーリ288GTOから引き継ぎ、改良を加えられたエンジンで、グループCカーのランチア LC2に搭載されていたエンジンのデチューン版になる。
最大出力478ps / 7,000rpm、最大トルク58.8kgm / 4,000rpmを絞り出し、F40の最高速度は公式に324km/hに達した。市販車で公称最高速度320km/hを超えた初めての市販車である。
その性能は予測がつかない急激な加速をする暴れ馬で、多くのドライバーを悩ませた。フェラーリのF1チームに在籍し、F40の開発にも携わったプロドライバー、ゲルハルト・ベルガー氏に「雨の日には絶対にガレージから出すな」と言わしめた逸話が残っている。
日本で初のお目見えとなったのは1987年末。正規輸入されたF40が60台弱、並行輸入を含めると相当数のF40が日本に持ち込まれたとされている。
しかし、ちょうどバブル経済まっただ中であった日本には それ以上の需要があり、新車販売価格が4,650万円であったにもかかわらず、プレミア価格がつき 一時期2億円を超える価格で取引されていた事もあるようだ。高額な取引が続き、「走る不動産」という異名を獲得したのもF40が初めてかもしれない。ちなみに自動車は「動産」であり、不動産は意味合いで、意味としての「不動産」という言い方は間違っている。
世界中には今もなお熱狂的なファンが数多く、日本に輸入された物が海外へ持ち出されることがあれば、また日本で需要が高まれば輸入されることもあるようだ。
F40のデビュー30周年に際し、開発当時のテストドライバーであるダリオ・ベヌッツィ氏は、
「F40はパワーステアリング、パワーアシストブレーキ、電子制御がないため、ドライバーの技術が要求される車。しかし、正確なステアリングやロードホールディング、加速性能は、当時の市販車として、比類無いレベルに達していた。」とコメントしている。
F40はフェラーリが歩んできた数十年の道のりで学んだ事の集大成。90年代のハイパフォーマンスカーとして フラッグシップの道を歩んだ事は、フェラーリ創設者であるエンツォ氏への最高の敬意だろう。
その美しい そのフォルムやパフォーマンスは、今もなお世界屈指である。
Image via Tomasz Gugała